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S**S
Banking Expo
Received as advertised. Great information, a lot surprising.
R**E
世界を流れる底流
この銀行の名前を初めて聞いたのは、学生時代に、''高木彬光の「帝国の視角」帝国の死角 上―天皇の密使 (角川文庫 緑)を読んだ時でした。そこでは、本書でも取り上げられている終戦の間際でのスイスでの秘密交渉が、OSSのアレンダレスとのかかわりの中で取り上げられています。というわけで、本書はBISをより広い歴史的なパースペクティブからその不思議な存在意義を取り上げたものです。一言でいって中央銀行が作り出した必要悪としての「裏」の金融組織といったらいいでしょうか。表向きはドイツの賠償の決済組織として生み出された組織なのですが、ナチス政権の誕生と共にその機能を巧妙に変えていくこととなります。それはつまるところは敵対国との金融取引と投資の円滑な運用を支えるインフラなのです。金融取引はたとえ表では対立を続けていても円滑に最低限の運用は確保されなければいけないのです。この裏の役割が、中立国(スイスやスエーデン)の協力を得て、戦時中も行われていた姿が赤裸々に描かれます。「利益のためには革命家に自分の首を絞めることになるロープでさえ売る」資本家たちは、いうまでもなく、利益のためにはナチスと金融取引を続けることには、そこに合法性の外見が付与されているならば、何のためらいも感じません。そこにはドイツの賠償問題の取り決めにおいて、究極の債権者としてそのプレゼンスを増加させたアメリカの金融資本がドイツへ持つ投資利権の確保という実務的な要因も大きくかかわっています。ドイツの敗戦と新たなるIMFの創設(The Battle of Bretton Woods: John Maynard Keynes, Harry Dexter White, and the Making of a New World Order (Council on Foreign Relations Books (Princeton University Press))はたしかに組織存続への大きな挑戦となります。しかし戦後における冷戦の勃発はつまるところ組織の存続を可能としたようです。ドイツの経済的な復興がアメリカにとっても政治経済上の至上命題となったわけです。非ナチ化の進展とともに、社会のすべての層にいた元ナチ党員もその専門的な能力が買われ、金融という専門性の極致のような領域では、当たり前のようにその復活が進むというわけです。この流れの中でBISは金融の国際化とユーロ統合への理論的そして実務的な支柱としての旗振りを続けるというわけです。この作品でも大胆な歴史の読み替えが試みられています。それは、類書(Hitler's Empire: How the Nazis Ruled Europeでも指摘されていますが、現在のユーロの源流を第二次大戦中のナチによる全欧支配の構図との近接性に求める視角です。どのようにしてドイツのヨーロッパに対するヘゲモニーを受け入れ可能なグランドデザインの下で確保していくのか。人種支配でのスローガンは失敗しました。しかしユーロというより専門的で価値中立性を漂わせるシンボルの下ではどうか。ここには社会に対するtechonocraticなdesignを設計主義的に作り上げて理想像を求めるフーリエ、サンシモン流の思想の底流が色濃く流れています。そして戦後のユーロにも不思議なフランス人たちの暗躍が見受けられます。ある意味では、彼らの役割は新しい装いの下でのcollaborationistなのかもしれません。最近のBISの大きな役割である銀行規制についてはあまり触れられておりません。この領域は、さらに専門性と複雑性が増している領域です。さすがに一ジャーナリストがこの領域に足を踏み込むことにはためらいがあったのかもしれません。考えてみれば、Basel 2や3の下での銀行規制はそのディテールと複雑性、そしてそのだいそれた目的において、たしかにフランスの設計主義的なユートピアンを髣髴させます。
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